千紀園のお茶ギフト用包装紙に「喫茶養生記」の一節を記しています

日本茶
2024.9.9

茶は養生の仙薬なり。
延齢の妙術なり。
山谷これを生ずれば其の地神霊なり。

人倫これを採ればその人長命なり。
天竺、唐土同じくこれを貴重す。
我が朝日本かつて嗜愛す。
古今奇特の仙薬なり。

鎌倉時代の僧・栄西(1141~1215)が記した「喫茶養生記(きっさようじょうき)」の冒頭の一節です。
千紀園のお茶の包装紙にも、茶摘みの絵図の横に記しています。

現代の言葉に訳すると、

茶は養生(健康を維持し、その増進に努めること)の素晴らしい薬であり、寿命を延ばす優れた妙薬(優れた手立て)である。
山や谷で茶の木が生えていれば、そこは霊妙な場所である。

人がこれを摘んで飲むならば、その人は長命になる。
天竺(インド)や唐国(中国)では、みな茶を珍重して飲んでいる。
我が日本でもかつては茶を好んで嗜(たしな)んでいた。
茶は昔から今日に至るまで、非常に優れた薬である。

となります。
鎌倉時代から、お茶の効能は知られていたのですね。

栄西と『喫茶養生記』とは

『喫茶養生記』は、冒頭で述べたように鎌倉時代の臨済宗の開祖・栄西が著した、お茶の栽培方法や効能などを記した日本の茶文化を知るうえで貴重な本です。

1214年2月、鎌倉幕府将軍・源実朝が二日酔いで苦しんでいるとき、お茶一服とともに献じた書物だとも考えられています。

お茶は仏教とともに中国から伝来しました。
しかし平安時代には現代のように普段の飲み物として扱われておらず、薬の一種と考えられ、上流貴族や僧侶の間でしか飲まれない貴重なものでした。
そのため、お茶を飲む文化は庶民の間には広まらず、廃れていました。

鎌倉時代である建久2(1191)年10月31日、留学先である宋から帰国した栄西は、お茶の木の種子と飲み方を日本に持ち帰ったと言われています。

これによって茶の栽培が再び広まり、嗜好品として武士や庶民にもお茶を飲む習慣が広まっていったと言われています。

あわせて読みたい:10月31日はハロウィンだけじゃない!「日本茶の日」

『喫茶養生記』は、現代語に訳された本も多く出版されています。
お茶好きな方、ぜひ読んでみてくださいね。

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